可愛くない不思議の国のアリス。
はじめからおわりまで視点人物が信用できないため、何が何だかわからない。解釈としてはボーの内的世界ということになるんだろうか?夢っぽい感じ。
カメラが本人視点でない場面もあり、より離人感というか夢感が出ている。
特に不思議の国のアリスっぽいな〜と思ったのは、トニに葉っぱを勧められるシーンと、最後の裁判のシーン。
ストーリーが進む中で、少女、息子を亡くした母親、妊娠中の女性、と女性の諸相が出てきてボーはそのほとんどに責められる。
お母さんが殺しても殺しても死なない、離れても離れても離れられない感じ。はじめのカウンセラーとのシーンで「お母さんの死を望むか?別におかしなことじゃない、普遍的なことだ」(※うろ覚え)とあるがこれが全体のテーマとなっている。
お芝居の、いないはずの息子を探すシーン〜父親?が話しかけてくるシーンあたりからどんどん訳がわからなくなる。
むしろ死体のすり替えトリックで論理が通っているのが怖い。なんであそこだけ急に正気に返るの?
全編通して、ボーは父親(男性、もしくは割礼された男性器そのもの)に暴力を受け、母親(女性)に責められる。その二つの恐れがかわるがわる形を変えて立ち現れる。
終盤の屋根裏部屋のシーンで父親?のほかに監禁されている男がいるが、つまりあれはボーに兄がいた(夢で見ていた勇敢なもう一人の僕は自分ではなく実在した)という解釈ができ、つまりボーが母の「お父さんは初夜に死んだ」という話が嘘だと気付いている、ということの表現なんだと思う。実際に兄がいるかは怪しい。
ボーは伴侶を得ることが人生で最も大切なことだという圧を感じながら、同時に性的なことを強く嫌悪している。母から聞いた父の物語がボーの妄想でなく実際に母の口から出たものであればそれは虐待と言っていいものだと思うが、ボーはそのトラウマを乗り越えようとして失敗し続けている。
ラスト、ボーは転覆したボートから落ち、水面から顔を出すことなく映画は終わる。これは劇場に灯りがついた時点で我々観客が夢から醒める、ということも含めての演出と思った。
繰り返し出てくる『水』のモチーフは、割礼とあわせて宗教的なものだろうと思うが、その辺はよくわからなかった。
ちなみにボーの母が言った「違う、私の家」は私も親に言われたことがあり、実はよくあることなのか…?と思った。どうなんだろう。